たまには弁当の話でもしようぜ

俺は具体的に直接その言葉を聞いたわけでも読んだわけでもないが、秋元康さん(以降、面倒くさいので秋豚)が、「記憶に残る”幕の内弁当”はない」だとか「”幕の内弁当”は人を感動させられない」と、幕の内弁当のアンチ活動をしているという話は、なんか聞いたことがある。

アンチが生まれてスターが育つ」なんていう作詞をする秋豚のことだから、
実は大の幕の内ヲタ
だという気がしないでもないんだけど、別に、そこはどうでもいい。豚の餌など興味ない。好きなもん食って、好きなだけ寝ればいいと思う。HKTの新公演をなかなか寄越さないので、今日はとことん豚扱いしてやる。

ところで、幕の内弁当の言葉の由来は、諸説あるものの、江戸時代の芝居見物から出た言葉だと言われる。芝居の途中で一旦幕が降りて、また幕が開くまでの間に食う弁当というのが語源らしい。まあ、この解釈が正しいのなら、確かに、秋豚の主張は正しい。要するに、どうでもいい弁当なんだろう、という気はする。

ただ、じゃあ、なぜ、幕の内弁当は、江戸時代から、200年も300年も経った現代社会で生き残っているんだろう。コンビニにも、お弁当屋さんにも当たり前に置かれ、「小洒落た名前つけてるけど、それ要するに幕の内だよね」という駅弁なんかも全国には数多く存在する。

幕の内弁当の由来がどうであれ、秋豚がどんだけ必死に自作自演したところで、どうでも良くない弁当だから生き残っているのは間違いない。

じゃあ、なぜ、生き残ってきたかと言えば、汎用性の高さに他ならない。例えば、俺が、しなもん教の集会を開くために(なんだよこの喩え)、教徒3000人が一堂に会して食事をするとなれば、俺が発注するのは、きっと幕の内だろう。

俺みたいに極端に食の好き嫌いが激しいおこちゃまの場合、幕の内弁当のおかずの半分は地雷だったりもするんだけど、多くの人は「食事をするという最低限の需要」が満たされ、サービスを提供する側も、最低限のコストで提供できる普遍性は、「唐揚げ弁当」にも「いかめし」にも「ももクロのわがまま弁当」にも存在しない優れた利点だ。だから、長い歴史を歩んで来たのだろう。

幕の内弁当を作るのって、すげー難しいんだろうなと思う。例えば、唐揚げ弁当なんてラクなもんだ。ごはんと唐揚げと漬物を添えれば、一応、最低限の唐揚げ弁当にはなる。でも、幕の内弁当の品数はたいてい4品目5品目は当たり前にあるわけだし、いろんなおかずを用意しなければならない労力がかかるんだろうし、そのおかずの組み合わせこそが、幕の内弁当のレーゾンデートルとも言える。栄養価、いろどり、コスト、食べ合わせなどを考えに考え尽くして作られるのが幕の内弁当だと俺は思う。

お弁当屋さんにとって、きっと、やりがいのある弁当って、実は、幕の内弁当なんじゃねえの。

だってさ、秋豚の言うとおり、幕の内弁当自体は、そんなに目立ちもしないし、賞賛もされない。でも、幕の内弁当は、なんだかんだで、俺たち日本人の腹を満たし続け、多くの人を、喜ばせてきた事実がそれを示している。日本人がちょんまげを棄てて、丸坊主を棄てて、今や、モテ感MAX無造作ショートなんて髪型が流行る今日に至るまで、幕の内弁当は、なんだかんだで愛されてきたってことじゃねえの。市場的に無価値なら、真っ先に淘汰される弁当だと思うし。

えっと、なんで、こんな話をしたのかって?

ふと、下野さんって、幕の内弁当に似てるなあって思ったから。もちろん、悪い意味でも、良い意味でも。端的に言えば「キャラ」の話なんだけどさ。

そう、俺が通ってる弁当屋の幕の内はね、フタすら、空かないんですよ。でもね、すっげーいい匂いするし、間違いなく、おいしいはずなんだけど、フタが空かないんすよ!!

まあ、だからこそ、楽しいんですけどね。下野さんを推すことって。

フタが空いたら推し変すんのかって?んなアホな。全部食い尽くしてそれから考えるかなー。
ああもう早くふとももペロペロしたい♥二の腕チュッチュしたい♥

結局それかよ俺。でも、まあ、秋豚も言ってるじゃん。予定調和を壊すことがおもしろさを生むって。マジメに下野さんのキャラを語るという予定調和を下ネタでねじ伏せる俺△。

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