未来は下野の手の中(ちょっとした懺悔)

4月6日。たぶん、ここ数年で、いちばん、くそムカついた日。でも忘れちゃいけない日。

何があったかを語る前の前提として、その3日前にあった下野さんの生誕祭について触れておく。

2013年4月3日 下野由貴生誕祭
俺の主観で言えば、今年の下野さんの生誕祭を3行でまとめるとこんな生誕祭だったと思う。

この一年:いろんなキャラへの挑戦
次の一年:バラエティ班としての飛躍を期待
要するに:キャラ迷走中の否定

その思いが、メンバーの思いだけでなく、ファンの思いでもあることは、アンコールの口上を参照のこと。

もう一回書きますね。キャラ迷走中じゃなくてキャラ挑戦中。

ファンもメンバーも同じような目線で見ているという一体感がすごく感動的だった。そんな生誕祭を劇場で見られることができて(それも1巡w)、すごく幸せな気分に包まれて東京に帰ってきた。

そして、問題の4月6日。下野さんとの握手を楽しんだあと、俺は指原さんと最後の握手をした。「推し変クソ野郎」というステキな戒名をいただいたり、衝撃的なカミングアウトがあったり。

ひとことでいえばなんだか
へこみるきー
な気分になったので、ヲタ友とご飯を食べに行った。ここまでは、なんだかんだですごく楽しかった。

問題はここから。どういう話の流れでこの話になったか覚えていないけど、ある指ヲタさん(某鍵付きブロガーさん)がこんな握手レポを書いていると、友達が教えてくれた。

指原「百貨店の心残りは、しなもんにキャラをつけてあげられなかったこと」

いやあ、タバコがすすむすすむ。ムカつきすぎちゃって、口からだけじゃなく、鼻の穴両方にもタバコぶっさしたくらいムカついた。

だって、3日前の生誕祭の感動ぶち壊し(笑)。温度差すげー。博多で見てきた生誕祭はいったいなんだったのか。DMM配信の最後で下野さんが流した涙はなんだったのか。本人の努力や苦悩をまったく顧みていない気がしたの。「キャラを~」って話をヲタにするとかね。なんかすげー悔しかった。握手会の話のネタにされるほど、下野さんの人生は軽くないだろうってホンキで憤った。

スッキリしないので、そんな話を聞いたということを、仲間内のプライベートなBBSでぶちまけた。まあ、これが今思えば余計だったのかも知れない。

知り合いの指ヲタさんに、「そう言われるのは当然」と言われた。カチンときたので、「んなこというなら、お前、生誕祭のDMM見たのかよ」と突っ込んだ。案の定、見てないらしい。だから俺は呆れて、「偉そうなこというならDMM見てから言えよ」と煽る。すると、「見る必要ない。見てほしかったら生誕祭で何があったかお前がまとめろ」とか言われる。

ここから先は酷い罵詈雑言の応酬。

引く気にはなれなかった。日頃、HKTはこうあるべきだなんてことを平気で発信している人だからこそ、腹が立った。同時に俺は絶望していた。この人ですらDMM配信を見ていないんだな、と。見ないで、あれこれ語っているんだよなって。賢い人は羨ましいよね、見えてないものが見えてるっていうんだからさ!

きっと、世の中の多くの人たちは、生誕祭での内容なんて知る由もないまま、相変わらず「キャラ迷走中」と言い続けるんだろうな。生誕祭のDMM配信の最後に流した下野さんの涙の意味なんて、下野推しにしか伝わってねーんだろうな。まあ、それならそれで、仕方ねーか。

そんな4月6日から、8ヶ月以上がが過ぎた。なんで、今、この話を持ちだしたのか。

今、我が家は、またしても、夫婦喧嘩の真っ最中。原因は昨日のおやつ。嫁が買ってきた苺大福を一口で食ってしまったうえに、「なんか皮がかてーな」と呟いたら嫁はブチ切れた。

なんでも銀座で毎日50個限定。おひとつ350円もする苺大福らしい。まあ、言われてみたら、イチゴの風味はよかったかも知れないけど、わざわざ、多摩地方から銀座くんだりまで出かけて並んで買う価値観がそもそもよくわからないけど、嫁にしてみれば、がんばって買ってきたのに、なんだその態度は、という怒りなんでしょうね。

嫁はこの大福すごいのよ!と伝えたいんだろう。
きっと大福を作る人はきっと精魂込めて作ってくださっているのだろう。
きっと大福に人格があるのなら、1日50個限定だというプライドもおありだろう。

でも、残念ながら俺の心には響かないんだな、これが。

!!

ああ、なんか、わかったような気がする。

「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」

このフレーズはフリッパーズ・ギター「全ての言葉はさよなら」からの引用。YouTubeにオリジナルがないからカバー版を。

そう、わかりあえるわけがないのだ。ヲタなんていう生き物は、個人主義の固まりのような生き物だ。たいてい自分のことしか考えていない。自分さえ楽しければそれでいいという発想がそこにある。「そんなことないぞ、俺は●●ちゃんのために」とおっしゃる方もいらっしゃるだろうが、多くの場合は、自己陶酔だと思う。

だって俺がそうだから(笑)

もうこんな前提を語っている時点で、おそらく、誰ともわかりあえてなんかいないんだろう。

でも、ヲタ同士が分かり合えないなんていうのは大した不幸ではない。大好きな推しメンと分かり合えないなんて思うと、軽く絶望したくなるんだけど、実際、分かり合えるわけなんかがない(笑)。分かり合えるなんていう夢を見ていいとしたら、きっと同世代の女の子くらいで、おっさんが分かり合えるなんて夢みているんだとしたら、ちょっと、いろいろ病院で診てもらったほうがいいと思う。

アイドルってさ、所詮、自分の中に存在するただの偶像。だって、そうじゃん。きっと、同じ下野さん推しが10人集まってさ、各々の心の中にある下野由貴っていう偶像を「せーの!」で取り出したら、きっと、すげー楽しいんだろうなって思う。きっと、形も材質も何もかも違う像が勢揃いしていて、どの偶像も、決して、下野由貴ではないはずだ。似てるだけ。完全にマッチングなんてしないはずだ。

誰とも分かり合えないっていうのは、不幸なトーンのフレーズかも知れないけど、本来、人と人のコミュニケーションというのは、自分と他者は違う存在であるから成立するものだろう。だって、自分と他人が同じだったら、何も、コミュニケーションを取る必要なんかない。自分の殻に閉じこもっていればいいだけ。

それどころか、分かり合えるっていう思い込みは、非常に不幸なのだ。4月6日の俺のように。気の許せる間だからこそ、自分の意見を押し付けようとしたら、意外と跳ね返ってきた。なんでこの人はわからないんだろうというところから苛立ちがはじまり、相手の意見など聞こうともしない。完全にドアを閉じて、自分の世界にひきこもった。きっと、我が家に夫婦喧嘩が絶えないのも、「わかりあえている良い夫婦♥」などという勘違いに甘えているだけ。

何度か、俺、やらかしているけど、下野さんに対して「こうしたほうがいい」などという意見を抱くことって、ある意味、「俺は彼女のことを理解している」などと勘違いをして、自分の中にしか存在しない下野由貴という偶像を眺めながら、言葉を吐き出しているに過ぎない。彼女の本質なんか、まるで見てやいない。

んだと思う。

ここまで、勘違いに塗り固められていることがハッキリした今、最後に1つだけ勘違いを書いて締めくくりたい。きっと、アイドルだって、ヲタの本音なんか、わかるわけがないに決っている(笑)。だから、どんな些細なことでもガンガン発信してほしいなあとか。うん、これ以上は書かない。昨日、結構書いたから

まあ、だからこそ、俺は、思うんだよね。

未来は下野の手の中

「未来は僕らの手の中」だなんてとんだ勘違いだ。下野推しとしての未来は、下野さんに委ねるしかないのだ。委ねられないなら、推し変するか、下野さんを通して未来を見ないか。だったら委ねちゃったほうがラク♪

来年はそういうスタンスでヲタ活をしたいという決意表明だったり、今年のヲタ活でやらかした反省だったり。そんなことを今日は綴ってみましたが、俺は4月6日のことを忘れちゃいけないんだろうね。

反面教師として!

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