今俺らが楽しまないで誰が楽しむと言うのだ

まず、最初に断りをいれておくと、俺自身、あの事件は対岸の火事な気分が抜け切らない。

AKBのイベントで起きたことではなく、HKTのイベントで起きたことなら、もっと違う感情を持つのかも知れない。もっと言えば、下野さんが被害を受けていたらもっともっと違う感情なのだろう。

そういった線引きが許せないと思う方は、これ以上読まないで欲しいと思いますが、そういう線引きに共感できる人は少なからずいると思うので、素直な感情をしたためたい。

人がどう思っているかに言及するのはいささかお節介が過ぎるが、俺の素直な気持ちとしては、そこまで熱くならなくてもいいじゃん、という人まで熱くなっている印象がある。

逆に言えば、ここまで冷めた気持ちを表に出すのが憚られるくらいの温度差を感じている。

もちろん、被害に遭われた方々の気持ちを考えるとなんとも痛ましい事件であったとは俺も思う。遺憾だ。

川栄さん、入山さん、その場に居合わせたスタッフやファンがどんなに怖い思いをしたかを察すると、恐らく、俺の想像を遥かに超えた恐怖がそこにあったのだろう。

そんな恐怖を与えた犯人は、法の定める手続きによって、適切に裁かれてほしいと願っている。

だが、俺の思いはここが限界だ。

これに乗じて、握手会の在り方がどうだ、とか、AKB商法がどうだと論ずるのは、俺はただの野次馬にしか思えない。熱くならなくていい人が熱くなっていると思うのは、まさにこの部分だ。

もちろん、イベントの主催者である運営は、警察からいろいろ指導を受けたり、事情聴取の仔細を連携してもらって、抜本的な改善を求められるのだろう。それを適切に対処していくのが運営の仕事で、彼らはしばらく寝る間もなくいろんな対応を迫られるはずだ。

ただ、俺たちファンはどうなんだろう。胸を痛めたり、祈ったり、願ったりというのは、ごく当たり前の感情。

ただ、それを振りかざす必要のない人まで振りかざしている(便乗して振りかざしている)ように見えるのは気のせいだろうか。

東日本大震災のときに、被災地外で叫ばれ続けた「不謹慎」と「自粛」。あれに似た空気を感じてならない。

今、被害にあった方々(メンバー、スタッフ、AKBのファン)に今まで通り元気良く楽しみましょうなんて言えるわけがないしできるわけがない。怒りや悲しみを法の裁きに任せましょうと言ったって割り切れもしないだろう。罪を憎んで人を憎まずなんて言ったらぶん殴られるかもしれない。

でも、HKT推しはその点、傷はそこまで深くないはずだ。俺みたいに対岸の火事とか言っちゃうのはクソかも知れないけれど、そこまで深く傷つく必要があるのか、いささか疑問だ。

今回の事件を経てもなお、アイドルを応援することは楽しいんだということを俺たちは発信するべきなんじゃないのかな、って俺は思う。

今日のHKTの公演は見てないけど、影アナでいーちゃんは「今日も博多から元気を発信していきます」と言ったらしいけどまさにそれだと思う。

傷が浅いだろう俺たちが楽しく応援しないで、傷を負った人に分け与えられる元気なんてありゃしない。

事件についてああだこうだと御託を並べるのは程々にして、今まで通り、楽しみましょうよ。

正義の使い道は正しい使い方をして始めて正義なのであって、違う使い方をしたら悪意にも化ける。紙一重。

そして、(表現としては好きではないけれど)尾崎さんの言葉を借りれば「テロに屈しない」。

…加害者に必要以上に憤るのは屈してるんだと俺は思う。

なーんて偉そうなこと言ってますが。
こんな長文を書いている俺も同罪。
ごめんなさいm(__)m

さ、DMMみよーっと!!
すんげー楽しみ♪

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